所沢ミレニアムチャーチ(日本聖泉基督教会連合)

所沢の小手指で礼拝を行っている小さな集まり、所沢ミレニアムチャーチのブログです。

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2011年2月6日 日曜礼拝

<メッセージ>「イエスの御業」(マルコ2:1~12)

序.カペナウム
 ガリラヤ湖北西岸の町。ダマスコへの通商路上にあり、交通の要衝として繁栄した。イエスの
ガリラヤ伝道の拠点で、シモン(ペテロ)とアンデレの家があった。

1.人がなすべきこと
 ①主の御言葉に聴く
 「数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。」(2:1、2)
 「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」(ヨハネ14:21)
 ②救いの必要な人を共同で主のみもとに連れて来る
 「そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。」(2:3、4)
 「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」(マタイ18:18~20)
 
2.主がなすべきこと
 ①罪の赦しを与える
 「イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。」
                                      (2:5)
 「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしら
  れても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任
  せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。」
                              (Ⅰペテロ2:22~24)
 ②罪を離れ、義のために生きる者とさせる
 「「・・・中風の人に、『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』
  と言うのと、どちらがやさしいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あな
  たがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、「あなたに言う。起きなさい。寝
  床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げ
  て、みなの見ている前を出て行った。」(2:9~12)
 「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を
  離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされた
  のです。」(Ⅰペテロ2:24)

結.神をあがめる
 「それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神を
  あがめた。」(2:12)


<メッセージ要旨>「イエスの御業」(マルコ2:1~12)

 今日の聖書箇所の舞台であるカペナウムは、ガリラヤ湖北西岸の町で、ダマスコへの通商路上にあり、交通の要衝として繁栄しました。また、この町はイエスのガリラヤ伝道の拠点で、シモン(ペテロ)とアンデレの家があった所でもあります。今日はこのカペナウムで起こった中風の人がいやされた事柄からイエスの御業について学んでみようと思います。
 イエスの御業が起こるためには、人がなすべきことと、主がなすべきことがあることを覚える必要があります。この両方があって初めてイエスの御業は起こり得るのです。今日の箇所はそのことを明確に示しています。
 まず、イエスの御業は人々が主の御言葉を聴いている時に起こりました。主はご自身を愛し、その御言葉を熱心に聴く人々の内にご自身の臨在を明らかにされます。そして、そこでご自身の生きておられる証しとしての御業をなさるのです。
 そして、イエスの御業は人々が救いの必要な人を共同で主のみもとに連れて来た時に起こりました。四人の人が中風の人をかついで来て、その人を主のみもとへと屋根からつり降ろすことは、私達がある人を共同で教会に導くことと、ある人の救いのために心を一つにして祈ることを象徴しています。主はこの四人の信仰を見て御業をなさいました。
 上記のように人がなすべきことを全うした時、主はご自身がなすべきことをなさいました。
 まず、主は中風の人に罪の赦しを与えました。私達は人間にとって何よりも必要なのは健康やお金のように思いますが、実はそれ以上に罪の赦しが必要なのです。この罪の赦しから始まって私達のすべての問題は解決されていくのです。
 この罪の赦しは主の十字架によってもたらされます。罪がなく、その生涯で全く罪を犯されなかった神の御子は、十字架で私達の罪をその身に負って下さったのです。
 そして、主は中風の人の罪を赦しただけではなく、中風の人をいやされました。このことは何を意味するのでしょうか。それはⅠペテロ2:24が示しているように、私達が罪を離れ、義のために生きる者とされることです。私達は自らの内にある罪のゆえに義のために生きることができない、まさに中風のような存在でした。しかし、主は罪の赦しを通して、私達をそのような状態から全くいやして下さるのです。これが私達に与えられる主の救いです。
 中風の人になされた御業を見て、人々は驚き、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめました。人を罪から離れさせ、義のために生きる者とさせるイエスの御業は、人々がかつて見たことがない驚くべき御業です。そして、そのような御業を見るならば、人々は神をあがめずにはいられないでしょう。
 このようなイエスの御業が、私達を初めとして多くの人々の上に、今も豊かに現されますように。

(人生への適用のための質問)
1.イエス・キリストが中風の人をいやした場所はどこでしたか。



2.イエス・キリストのいやしは人々が何を熱心に聴いている時に起こりましたか。
このことは私達にどのようなことを教えていますか。






3.イエス・キリストのいやしは中風の人を何人の人がかついで来た時に起こりま
したか。このことは私達にどのようなことを教えていますか。






4.人間にとって最も必要なことは何が赦されることですか。そのことは何によっ
  てもたらされますか。





5.中風の人がいやされることは、人が罪を離れ、何のために生きるようになるこ
とを象徴していますか。また、そのような御業が現される時、人々は驚き、誰
をあがめるようになりますか。


<来週(11.2.13)のメッセージ>
「聞く者は生きる」(ヨハネ5:1~9)

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