所沢ミレニアムチャーチ(日本聖泉基督教会連合)

所沢の小手指で礼拝を行っている小さな集まり、所沢ミレニアムチャーチのブログです。

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2011年4月3日 日曜礼拝

<メッセージ>「祈りこそ勝利の鍵」(マルコ14:32~42)

序.ゲツセマネの園
 イエス・キリストが十字架の死を前にして最後の祈りをした場所である。ここはこの時に限らずイエス・キリストと弟子達の休息と祈りの場所であった。(ルカ21:37参照)

1.祈りの模範
 「それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」」
 (14:35、36)
 「イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」」
 (マタイ19:26)
 「ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。」
 (ヨハネ2:3)
 「みこころが天で行われるように地でも行われますように。」(マタイ6:10)

2.祈りの方法
 「いかなる時、人は最も美しいといえるだろうか。・・・十七歳の天草四郎の前に、美しい女が二人現われる。一人は媚態あふるる妖艶な女性、一人はその正反対の女性であった。天草四郎が惹かれたのは後者であった。なぜ天草四郎は後者に惹かれたか。それは夕日の野で、静かに祈る彼女の姿を見たからである。その、祈る女性の姿に犯しがたい気品と清らかさを見て、深い感動を与えられたからである。」(三浦綾子氏「天の梯子」)
 「ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれた。イエスは深くもだえ始められた。」
 (14:32、33)
 「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」

3.祈りの力
「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
 (14:38)
「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」
 (使徒1:14)
「キリスト信徒は絶え間なく祈るべきである。まことに彼の生命(いのち)は祈祷である。彼はまだ不完全なのだから、祈るべきである。彼はまだ信仰が足りないのだから、祈るべきである。彼はよく祈ることが出来ないので、祈るべきである。恵まれても祈るべし、呪われても祈るべし。陰府(よみ)の低きに下げられても、私は祈ろう。力なき私、私に出来ることは祈ることだけ。」(内村鑑三「求安録」)

結.祈りの結果
 「イエスは三度目に来て、彼らに言われた。「・・・時が来ました。見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。立ちなさい。さあ、行くのです。・・・」」
 (14:41、42)

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