所沢ミレニアムチャーチ(日本聖泉基督教会連合)

所沢の小手指で礼拝を行っている小さな集まり、所沢ミレニアムチャーチのブログです。

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2011年1月9日 日曜礼拝

<メッセージ>「新しい人生のスタート」(マルコ1:1~11)

序.洗礼(バプテスマ)  

 「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私
たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリス
トの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリス
トが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新
しい歩みをするためです。」(ローマ6:3、4)

1.水のバプテスマ  「罪の赦しのための・・・バプテスマ」(1:4)

 ①もろもろの罪
 「また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者・・・です。彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけでなく、それを行う者に心から同意しているのです。」(ローマ1:28~32)
 ②一番大切な戒めを犯した罪
 「律法学者が来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエ
スに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」イエスは答えられた。「一
番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、
ほかにありません。」(マルコ12:28~31)
 
2.聖霊のバプテスマ  「御霊が・・・下られる」(1:10)
 「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマを
  お受けになった。そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩の
  ように自分の上に下られるのを、ご覧になった。」(1:9、10)
「「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」・・・そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。」
                            (使徒2:38、39、41)
結.天からの御声
 「そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(1:11)
 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人を
あなたの代わりにし、・・・」(イザヤ43:4)
 「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたの
ことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれ
る。」(ゼパニヤ3:17)


<メッセージ要旨>「新しい人生のスタート」(マルコ1:1~11)

 新年が始まり、「今年は」「今年こそ」という新しい思いで人生を再スタートされたことと思います。新年に限らず私達は「人生をもう一度やり直したい」「過去から完全に解き放たれ、全く新しい人生を一から始めたい」、そんな思いになることもあるでしょう。今日の聖書箇所は私達がどのようにして「新しい人生のスタート」をし始めることができるのかを示しています。それは、洗礼(バプテスマ)によってです。
 今日の箇所では二種類の洗礼が記されています。一つは民衆が受けていた洗礼、もう一つはイエス・キリストが受けられた洗礼ですが、それぞれは「水のバプテスマ」「聖霊のバプテスマ」ということができます。
 民衆が受けていた洗礼は、「罪の赦しのための悔い改めのバプテスマ」と呼ばれています。これは私達が洗礼を受けることによって、私達が犯した数えきれないほどのもろもろの罪が赦されることを象徴しています。
 人によっては「私は罪を犯したことがない」と大胆にも公言する人がいるかもしれません。ある牧師はそのようなことを言う人に対して聖書のある箇所(マルコ12:28~31)を開き、「ここでイエス・キリストは最も大切な戒めは何だと言っていますか」と質問したそうです。そこで彼は「すべてを尽くして神を愛し、隣人を自分のように愛することです。」と答えたそうですが、その後で牧師はもう一つの質問をしました。「それでは、この聖書箇所によれば、人が犯す最も大きな罪は何ですか。」「それは、すべてを尽くして神を愛さず、隣人を自分のように愛さないことです。」と彼は答えましたが、そこで牧師は最後の質問をしました。「あなたはすべてを尽くして神を愛し、隣人を自分のように愛していますか。」その質問を通して彼は自分が最も大切な戒めを守ることができない、最も大きな罪を犯している人間であることを悟ることができたそうです。
 私達は実はとんでもない罪人なのですが、こんな私達が罪赦される道があるのです。それが洗礼を受けることです。勿論この背景には私達の罪のためにイエス・キリストが十字架で死なれることがあるわけですが、この御業を覚えながら罪の赦しのための洗礼を受けられるとは何と幸いなことでしょう。
 そして、イエス・キリストが受けられた洗礼は、私達に与えられるもう一つのすばらしい祝福を象徴しています。それは「聖霊を受ける(聖霊のバプテスマ)」ということです。イエス・キリストが洗礼を受けられた時に聖霊が鳩のように下られましたが、私達も洗礼を受ける(厳密にはイエス・キリストを信じ受け入れる)ことを通して聖霊を受けることができるのです。神であられるお方が私達の内に住まわれ、私達を通して働かれるようになるとは、何と驚くべき祝福でしょうか。
 最後の決定的な祝福は、洗礼を受けられたイエス・キリストが体験されたように、天からの御声を聞くことができるようになることと言えるでしょう。その御声はまるで赤ちゃんが母親に語りかけられるような愛情に満ちたものです。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」私達はまず私達の存在そのものを愛し、喜ばれる御声を聞くのです。後にはこの御声をベースとして様々な御声を聞く者とされるわけですが、このことは何と幸いなことでしょう。
 洗礼によって罪赦され、聖霊を受け、御声を聞く者となることこそ、私達に与えられた完璧な意味での「新しい人生のスタート」なのです。

(人生への適用のための質問)
 1.今日の聖書箇所で描かれている二種類の洗礼(バプテスマ)は何ですか。



 2.聖書が教えている最も大切な戒めは何ですか。
   あなたはこの戒めを守っていますか。
   もし守れていないとすればあなたはどんな罪を犯していることになりますか。




 3.洗礼を受ける時に私達が受ける三つの祝福は何ですか。




 4.イエス・キリストが洗礼を受けられた時に聞いたもので、私達も天からの御声として聞くことができる言葉はどのようなものですか。




<来週(11.1.16)のメッセージ>
「悪魔の誘惑」(マタイ4:1~11)

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